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【ひろしまアニメーションシーズン✖️ひろしまアートシーン(レポート5)ひろしまアニメーションシーズン2022体験記】

ひろしま​​アニメーションシーズン2022 体験記

こちらではアートシーンメンバーのひろしまアニメーションシーズン2022の体験記をご紹介します。
執筆は松波静香さん(gallery G)。
4月にgalleryGで行われた『やまなし Mountain Stream』山村浩二原画展「クラムボンってなんじゃろ?」から
「Hello!ひろしま ひろしまアーティスト・イン・レジデンス(H-AIR)招へい作家紹介展」、「In the Flow」と展示会場としてアニメーションシーズンに関わっていただいていた松波さん。
本映画祭ではなるべくたくさんのプログラムを体感すべく、各会場を回ってくださいました。


 わたしはアニメーションについては全くの無知です。
これまで長年開催されてきた「広島国際アニメーションフェスティバル」には、子供のころに連れて行ってもらった記憶があります。唯一作品で心に残っているのはフレデリック・バックの『木を植えた男』で、鉛筆で描かれた世界が揺れてずっと風が吹いていて、静かに時間が流れているその世界観に没入する感覚を感じ、普段テレビで見る「アニメ」とは別物かもと子供ながらに感じました。(調べてみるとこの作品がグランプリになったのは1987年とのこと。とすると4歳?いや、そんなに小さくはなかったと思うので、きっと特別上映のどれかをみたのだと思います。)

 今回が第1回となるアニメーションシーズンは、映画祭開幕前から市内でプレオープンのイベントやレジデンス作家さんとの交流があり、今年は「なるべく多くの作品を見るぞ!」と意気込んで臨みました。プログラムが発表されて、まず盛り沢山の内容に驚き。複数の会場で同時にプログラムが進行します。一体どれを見たらいいの・・・!

 落ち着いてプログラムを見ると、特集上映、コンペティション・・・なるほどなるほど・・
カテゴリーに分かれていて、トークイベントも散りばめられています。
私はまずコンペティション作品を全部見ることを目標にプログラムに鉛筆で丸をしました。
そうやって見ていくと、気になるプログラムがどんどん増えていきます。そして「行く」と決めたものには丸を。こうやって見るプログラムを決めて、8月18〜21日は原付でアステールプラザと横川シネマを行き来し、お昼ご飯を食べる暇もなくプログラムを梯子しました。(雨が降らなくてよかった・・。)

 コンペティションプログラムで上映される作品は、一口に「アニメーション」と言っても素材や技法も様々です。手作りの人形を動かすものから、AIを用いたコンピューターアニメーションまで、一つも同じ技法はないのではと思うほどバリエーションに富んでいました。社会的なテーマを扱うもの、個人的なファンタジー、シリアスでダークなもの、笑えるもの、それぞれの作品が持つテーマも、作家の国籍も多種多様。

 それでも全てのコンペティション作品を見て感じたのは、異なる文化を超えて同じアニメーションという言語で語っているような印象でした。数分の短い作品であっても表現したいことが詰まっていて、作品をひとつ見終わるごとにひとつの個展を見終わったような、ある種の疲労感が降りてきました。この言語にもっと触れてみたいなと思ったのでした。

 「水」をテーマとした特集プログラムでは、講演「アニメーションはどのように水を表現してきたか」、上映&レクチャー「アニメーションにおける水:流動と断絶」、『幾多の北』、『名付けようのない踊り』を観ることができました。「水」というテーマが一貫して流れていたことで、初心者の私にも鑑賞の入り口になりましたし、アニメーションの表現についての新しい視点も得ることができました。

 ジェンダーアイデンティティの特集や、審査員プログラムもとても見たかったのですが、同時に開催していてた別のプログラムを選んだことで、観ることができませんでした。

市民ギャラリーではトークイベントも多く開かれていました。

 中でも特に印象に残ったのは、山村浩二さんと田中泯さんの対談です。
「身体性」をキーワードに、田中さんが考える「踊り」と山村さんにとっての「アニメーション」を語り合うものでした。田中さんは、「踊り」とはいわゆる振り付けを音楽に合わせてするものではなく、この世に言葉が生まれるずっと前からあったはずの表現であり、相手に何かを伝える手段だと言います。そして、その身体を強制することは考える力を奪うことなのだと。アニメーションシーズンで上映された作品の多くにアニメーターが培ってきた「手の身体性」が現れているというところが、いわゆる業界アニメと「アニメーション」の決定的な違いの一つなんだと思いました。

 そして、表現は「間で新しく生まれるもの」で伝える側と受け取る側のふたりの間で「うんうん、分かる」と「表現が通る」ことで生まれるのだそうです。アニメーションや他の分野についても同じで、「観る側の中でも育てないといけないものだ」と山村さんは言いました。鑑賞者が考え咀嚼することで初めて表現を通すことができる。観る側の私たちもその力を育まないといけないのだ、と感じました。

 トークイベントでは、監督や作家による作品の話はもちろん、配給会社の代表の方によるアニメーション配給に関するものや、この映画祭のハラスメント対策に関するものなど、運営サイドの話も興味深く聞きました。

 社会に対する問題提起や空想やイメージの世界を表現する人にはたくさん出会いますが、それをアニメーションという方法で表現する作家と触れ合う機会はあまりありません。この映画祭で多くの作品を見て、製作者の方のお話も聞くことができ、私の中に新しい世界が一気に広がりました。

 アニメーションに興味のある方だけでなく、様々な表現をするアーティストの方、芸術好きの方、子供にも大人にもどんな方にとっても、共感する視点や新しい視点を得られる絶好のチャンスになると思います。広島で2年に1度にこんな機会があるなんて。今年参加できなかった方は、ぜひ次回は少しでも参加してみてください。

 アニメーションの表現が、広島でこれまで培われてき土壌から芽吹き、世界から広島に集い、広島から世界に飛び立っていくような、わくわくするような可能性を感じた映画祭でした。これからもこの映画祭が続いていき、広島のアートシーンとどんどん混ざり合っていくことを願っています。

松波静香

 

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