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国際平和文化都市広島における新たなアニメーションのイベント「ひろしまアニメーション2022」が残した足跡

この夏開催されたひろしまアニメーションシーズン2022を振り返り、広島市の文化行政における位置づけを含めてレビューした記事を山本功が執筆しました。

 

2022年夏、ひろしまアニメーションシーズン2022が初開催された。それまで36年にわたって継続的に開催されてきた広島国際アニメーションフェスティバルは2020年の第18回大会をもって終了し、新たな祭典としてはじまったものだという。

筆者は広島で主に現代美術を扱うアートスペースの運営とアートマネジメントを生業としているのだが、アニメーションとの接点はこれまでほとんど持ってこなかった(幼少期ですらあまり積極的に見ていなかったと思う)。地元である広島市にアニメーションの国際展が定期的に開催されていたことは認知していたが、実際に足を運んだことはなかった。まとまった量のアニメーション作品を一同に鑑賞する機会を得たのは今回が初めてである。

あいにく、自らの主催企画と会期が重複していたために、一部のプログラムしか楽しむことができなかったのが口惜しい限りだ。感想としては、現代美術とアニメーションは良き隣人なのだ!という気づきが大きい。グランプリに選出されたジョルジュ・シュヴィッツゲーベル監督の 「ダーウィンの手記」は、19世紀の大英帝国による南米先住民に対する植民地主義的な蛮行を扱った作品だが、なるほどアニメーションという技法によるからこそ可能な表現、語らざるところに見るべきものがある作品だったと思う(実際、この作品はナレーションがない)。「平和にヒビの入った2022年にふさわしい作品」であったことが選出理由だったが、帝国主義にたいする反省を含む作品が、軍都から被爆都市に姿を変え、「国際平和文化都市」を目指す広島で受賞したことにも意義があるように感じた。

Darwin’s Notebook from Georges Schwizgebel on Vimeo.

 

謎多きイベント?

ところで、このアニメーションシーズンというイベントにはよくわからないことが多い。なぜこれまで18回にもわたって継続されてきたものを新たに仕切り直さねばならなかったのか。そもそもこの広島でなぜアニメーションにフォーカスを当てているのだろうか。新たに創設された総合芸術イベントにおける取り組みのひとつだという座組みもいまいち腹落ちしない。

そこで、開催に至る経緯をあらためて整理してみる。まず、ひろしまアニメーションシーズン2022は、第1回ひろしま国際平和文化祭におけるメディア芸術部門の中核事業である。この文化祭にはもうひとつ、音楽部門があり、こちらはひろしまミュージックセッション2022と銘打たれている。「いのち輝く平和芸術、主役。」が第1回の開催テーマで、演者、制作者、鑑賞者それぞれを「主役」と位置づけ、いままでにない市民参加型のイベントとすることが謳われている。

ひろしま国際平和文化祭事業全体のイメージ図

第1回ひろしま国際平和文化祭実施計画より

ここで2つの疑問が湧き上がる。なぜ音楽とメディア芸術なのだろうか。そして、その内実についてである。

実施計画における市の説明によれば、広島が現在持っている強みを生かしたものだという。また、音楽部門は地域資源としての地元の音楽関係者の発表機会の創出という側面があるのに対し、メディア芸術部門は地域外の「最新の」作品を広島に持ち込むという企図がうかがえる。

「国際平和文化都市」広島市における「メディア芸術」

ところで、広島は「メディア芸術」に強みなど持っていただろうか?たとえば、隣県の山口市には山口情報芸術センター(YCAM)は「メディアアートの聖地」と評されるアートセンターがあり、紆余曲折を経ながらも独自の地位を確立している。世界的には、アルス・エレクトロニカを擁するオーストリアのリンツなど、メディア芸術に強みを持つ都市はいくつか挙げられよう。広島での今回の企画においても、アルス・エレクトロニカの協力を得た高校生の国際交流プログラムや、アルス・エレクトロニカ・フューチャーラボYCAMからゲストを招いたイベントが開催されるなどしていた。

しかし、現在の広島市がこれらの都市に肩をならべられる地位にあるか、目指す姿勢が伺えるかと問われれば首肯しづらいのが正直なところだ。「メディア芸術」が新たな総合芸術イベントにおける中核事業として位置づけられる以前には、広島市議会の議事録を検索しても「メディア芸術」についてはほとんど言及されていなかった。

広島市議会議事録におけるメディア芸術についての言及

広島市議会議事録で「メディア芸術」と検索した結果。メディア芸術を主軸のひとつとした新たな総合芸術イベントの開催が俎上に乗る以前の平成年間に限ると4件しか言及されていなかった。

では、突如として広島市が現在持っている「強み」となった「メディア芸術」とはなにを指すのだろうか。それは、広島市が文化政策を進める上で必ず上段に掲げる「国際平和文化都市」としての歩みをひもとくことで、おぼろげながら見えてくる。

「国際平和文化都市」となることを都市づくりの最高の目標として掲げ、市政を推進したのが荒木武市長(1975-1994年在任)である。その施策のひとつが、1982年に開館した広島市映像文化ライブラリーであった。地方自治体で唯一の映像施設であり、日本映画等の収集・保存・上映、レコード・CDなどの音楽資料を収集・保存する専門施設として開館した。

「アニメーションシーズン」の前身となる広島国際アニメーションフェスティバルが1985年からはじまったのも、同じ文脈に位置づけられる。そのなかで、広島市映像文化ライブラリーは「アニメーション芸術のメッカ」としての位置づけを期待されていた。一過性のフェスティバルとアーカイブを担う常設施設の両輪で地域のアニメーション文化の発展を思い描く構想とは裏腹に、回を重ねるにつれ当初の趣旨と実態は乖離していったことが、運営体制を見直し新たなイベントとして再スタートを切らなければならなくなった要因のひとつだと説明されている。

このような流れの延長線上で、広島市がメディア芸術に持つ「強み」を鑑みると、これまで開催してきた広島国際アニメーションフェスティバルの関係資本を継承することで、地域外の「最新の」作品を東アジアの地方都市に呼び込むことができることこそが「強み」だと理解することができそうだ。ここでいう「メディア芸術」とは、「国際平和文化都市」を目指すにあたって数十年にわたって推進してきた映像文化、アニメーション、まんが、現代美術などの公的施設やイベントを総称するカテゴリを指しているらしいことも汲み取れる。

ここで、アニメーションは現代美術の良き隣人だと気づいた、という冒頭の筆者の感想に立ち戻りたい。というのも、広島市の認識は必ずしもそうとは限らないようなのだ。市議会での議論を見ていくと、広島市の担当課長が、この「総合文化芸術イベント」は「現代アートの展覧会ではなく,本市の強みである音楽とメディア芸術を柱としたイベント」だと発言しているのだ。もっともこの発言は、文化芸術に対する公金支出に否定的な議員(あいちトリエンナーレ2019で一時展示中止になった「表現の不自由展・その後」や、2020年に広島県内で開催予定だった「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」とそのプレイベントについて「反日プロパガンダ」だとし、公金支出の是非を執拗に問題提起していた議員である)による質疑にたいする回答であることは考慮しなければならないが、わざわざ現代アートと音楽とメディアアートのあいだに線引きを作る必要はあるまいに、という思いを禁じえない。国際平和文化都市を標榜するならば、新たな総合文化芸術イベントとしてわざわざ仕切り直して開催するならば、なおのことである。

前述の通り、国際平和文化都市を目指して広島市は先進的な取り組みを続けてきた。地方自治体で唯一の映像施設である広島市映像文化ライブラリー(1982年開館)にはじまり、1985年から2年に1度開催されてきた広島国際アニメーションフェスティバルは、アジア地区において初めての国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)公認のフェスティバルだった(ASIFA日本支部のウェブサイトを見ると、これまで開催してきた広島国際アニメーションフェスティバルが不本意ながら終了したこと対する声明が2022年9月現在もトップに掲出されている)。1989年に開館した広島市現代美術館は日本初の公立現代美術館であるし、同じく比治山にある広島市まんが図書館は、全国初、国内で唯一の漫画に特化した公共の図書館である。西日本では数少ない公立の芸術系学部を有する広島市立大学も1994年に設置されている。

広島市の文化行政の現在

1980-90年代にかけて誕生したこれらの「初物」だが、それぞれ施設の老朽化にともなう建て替えや設備の更新が進んでいるほか、中央公園に立地する広島市映像文化ライブラリーについては中央図書館や子ども図書館との集約化も取り沙汰されている。「メディア」の特性ゆえ、時代の移り変わりへの対応も迫られている図書館の再整備旧陸軍被服支廠や「暫定活用」状態が続く旧日本銀行広島支店の活用方法の検討にともなって、いまこのまちに求められる文化とはどうあるべきか、という議論が散発的に立ち起こっている。しかし、いずれもハード面の整備についての話題ばかりが先行しているように見えるのが個人的には気にかかっている。文化は人なしには成立しえないからだ。

というのも、広島市の文化行政はいまや全国的に見てもかなり消極的な部類にある。文化庁が毎年発表している「地方における文化行政の状況について」という資料によれば、広島市は政令指定都市のなかで唯一文化芸術推進計画を制定していない。芸術文化事業費も、人口に比して多くない(政令指定都市20都市中の順位で2020年度は15番目、2019年度は最小の20番目!)。

政令指定都市における文化芸術推進計画策定状況

令和2年度現在の政令指定都市における文化芸術推進計画策定状況。20ある政令指定都市のうち広島市のみ記載情報がない。

 

政令指定都市における芸術文化事業費の推移

広島市の芸術文化事業費は2017年以降年間2-3億円程度で推移している。

このひろしまアートシーンも2020年度の「広島市 文化芸術の灯を消さないプロジェクト」(すでに広島市の公式ホームページ上にはページが残っていない!)なる助成を受けて立ち上げたものだ。すでに600件以上の展示情報を掲載し、公共財的な性格も帯び始めているのではないかと自負しているが、特段の公的支援を受けているわけではない。今年度も「広島市文化芸術活動活性化臨時支援事業補助金」という制度があるようだが、需要と供給が噛み合っていないのか、当初2022年7月29日までだった申請期間を9月30日まで延長し受け付けている状態だ。

ひろしまアニメーション2022が果たした役割

その点、ひろしまアニメーションシーズンは、文化芸術活動の担い手の拡大・育成もスコープに含め、さまざまな市民教育プログラムを実施してきたことにあらためて光を当てておきたい。「H-AIR ひろしまアーティスト・イン・レジデンス」には国内外から3名のアーティストが市内各地に滞在し、それぞれに制作や企画に取り組んだ。歴史的、文化的資源には事欠かないはずのこの都市において、なぜかこれまでほとんど取り組まれてこなかったレジデンスプログラムが整備された意義は大きい。

また、誰もが参加しやすい映画祭を目指し、ハラスメント防止のためのガイドラインを策定し、参加者に資料を配布したり、シンポジウムを開催したりといった取り組みは、あらためて顕彰すべきこととして言及したい(隣県の現代美術イベントが総合プロデューサーのハラスメント疑惑に対する説明責任を果たさずに開催されようとしているのとは一線を画すこうした対応こそ「強み」として認識してよいはずだ)。

規模は必ずしも大きくはないかもしれないが、さまざまなソフトコンテンツを展開し、環境整備を進めたことは、中長期的に「平和文化」なるものを下支えする替えの効かない役割を果たしていくことだろう。

もっとも、数年に一度のスパンで期間限定で開催される形式の芸術祭の真価は、会期外の基盤整備と機運醸成にあると思っている。「メディア芸術」を嗜む市民は一朝一夕には生まれない。ひろしまアニメーションシーズン2022授賞式では、地元関係の審査員による「ひろしまチョイス賞」と「HAC賞」の両方を「パニック・イン・ザ・ヴィレッジ サマー・ホリデー」が受賞したことがアナウンスされると会場からは笑い声が漏れていたが、この作品は「こどもたちのために」カテゴリで受賞しているものでもある。4冠となったこの作品が受賞に値することは言うまでもないのだが、うがった見方をすれば、「おとな向け」の作品は広島の地元ではまだ受け入れられ難い(と審査員は判断した)とも言える。

THE SUMMER HOLIDAYS – A TOWN CALLED PANIC (Panique au Village – Les Grandes Vacances) from Autour de Minuit on Vimeo.

国際平和文化都市を目指すと高らかに掲げるからには、高尚な理念にとどまらない実態を伴わなければならない。「みんな主役」とテーマに掲げ、市民参加を促進したいならば、ハコモノを整備しイベントを開催するだけでなく、さまざまな日常的な実践への支援も含めた生態系を構築していかなければならない。さもなくば、「あなたも主役ですよ」と言われても戸惑ってしまう。その意味で、この都市の「新しい文化」をめぐる萌芽が踏みつけられることなく大切に育てられたならば、きっといずれ大きな樹となり森となるだけの土壌はすでにあるはずだ。

 

文:山本功(ひろしまアートシーン/タメンタイ)

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