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【レビュー】前田耕平「雁の便り」プロジェクト アーカイブ展

会場風景

今回のレビューは前田耕平「雁の便り」プロジェクト アーカイブ展。本プロジェクトには個人、芸術団体、大学、ギャラリーなど多くのプレイヤーが参画しており、詳しくは各所のウェブサイトで読み込んでいただきたい。が、その関わりの充実こそが命題な気もするので、はじめに筆者なりの整理をしてから本題に入っていきたい。

一つ目、時間を遡ると、まず本展はアーカイブの展示であって、「雁の便り」プロジェクト本体が事前にあり、必然まとめ的な意味合いが含まれている。プロジェクトでは最後にパフォーマンスが行われたが、その前にフィールドワークやワークショップといった多数のプログラムが実施され、入念な準備と意識の向上が図られたようだ。さらに遡ると、参加者の決定があり、その前には募集の告知、そしてそのための様々な事前調整があり……。この辺であきらめよう。つまり、大変多くの人が長い間関与しており、それぞれの〈思い〉が本アーカイブ展に集結している。

二つ目、筆者は上述したパフォーマンスを目撃している。数日に渡り断続的に実演と撮影が行われたが、その内の約1日分を見学させてもらった。それ以外にワークショップやリサーチには参加していない。したがって、熱い〈思い〉は正直持ち合わせていないが、その気持ちが創出される現場は垣間見ている。

三つ目、「雁の便り」プロジェクトの本丸的な成果物、すなわちパフォーマンスにより共同制作された新作《かりのたより》は本展に出品されておらず、別会場で開催される前田氏の個展にて初お披露目となる。そして本稿執筆の時点で、筆者は未見である。

強引に例えてみよう。今どき珍しい手書き原稿が主体の本アーカイブ展は、いわば卒業式の寄せ書き展である。笑顔と涙に溢れる卒業生。もらい泣きする保護者。それより遠くから見守る地元関係者、ここが筆者のポジションである。卒業生のことも3年間の物語も知りえないが、そこで育まれたであろう美しい思い出は理解できる。そんな〈思い〉の詰まった本展を、望遠鏡ごしに眺めるイメージで鑑賞してみたい。

会場入ってすぐに、《①「雁の便り」プロジェクトより》とのことで相関図が掲げられている。様々な組織と関係性、背景などが手際よくまとめられている。あらすじ、という言葉が物語のはじまりのようではないか。裏はプロジェクトのハイライトであるパフォーマンスの航路図。イカダ、とあるように、作家お手製の筏と人力によって川を遡っている様子が想起される。海の方から元安川を上り、本川を通って、京橋川を下っていく。市の中心部を弧を描くように通過するルート。水都・広島を堪能するにはまたとないコースで、船上からの景観は、陸上とはまた異なる視野を提供してくれたに違いない。

相関図の下にはハンドアウトの《②前田耕平とリフレクティングヒロシマより》。ここでは展示の概要やキャプションなどの情報、そして作家およびスタッフによる手書きのテキストが掲載されている。テキストには自己紹介があり、プロジェクトへの関わり方があり、抽象的な思考や関わる中での心境の変化など、多岐にわたる。

次の空間にいこう。手書きのテキストが空中に浮いている。渡り鳥である雁のV字の隊列か、水に浮かぶ舟の形状か、浮遊とレイアウトに意味を感じとろうとしてしまう。これらは《⑤乗舟者より》で、実際にパフォーマンスを行った参加者たちによるもの。計7名、下は10才にも満たない子どもから、上は70代までと非常に多世代の方が参加している。経歴や普段していること、アートとの距離感もまちまちで、バラエティ豊かである。なお、パネルの裏は各パフォーマーの乗船中の写真だ。

これらのテキストは必ずしも作家への言葉でもなければ、感想の共有というわけでもなさそうだ。キャプションに従うと、「パフォーマンスを終え、乗船パフォーマーが想起した『誰か』への手紙。」とのこと。例えば先にあげた子どもとおぼしきテキストは、「ぼくの友達へ」寄せた手紙で、乗船とは一切無縁に感じられる。また70代の方とおぼしきテキストは、「三年後の僕へ……」当てた手紙で、浮世への想いとさらに歳を重ねた自身への希望と不安で出来ている。他のテキストも含めつぶさに読んだわけではないが、乗船との関連度合いにはかなり開きがあって、好き勝手に書かれた内容が笑いを誘う。私は何を見ているのか?乗船パフォーマンスという非日常を経験した事実、それによって繋がれた人々の、奔放かつ生々しい手記がそこに浮いている。

ふとよぎったのは、パフォーマンスを目撃した時のことだ。映像撮影もあって、写らないよう筆者は基本的に対岸から眺めていた。川を挟んで撮影現場を見ていると、対岸のなんとやら、そこで行われていることが一つの風景に見えてきたのだ。河岸には他にもSAPをする集団、のんびりしている高齢者、マラソン、サイクリング、キャンプを楽しむ人たちなどで、のどかな川辺の景色が広がっている。プロジェクトのメンバーは慌ただしく予定をこなしていただろうが、それすらも自然に溶け込んだ多様かつ複数の営みの一部になっていたのだ。

つまり、細部であり全体。全体だけどその細部には把握しきれない膨大な詳細があると、そんな連想が働いたのである。乗船者たちのテキストもまた、乗船という全体性ないしは共通性があり、一方で個別に異なる細部があり、容易にこれらをまとめあげることはできず、それぞれの〈思い〉にひたすら想像を巡らせることになっている。皆が一様に「楽しかった」というような予定調和は見当たらない。なるほど、コピーではなく、肉筆の手記にふさわしい表現と感じた。

さて、壁面にもテキストが展示されている。《③岸辺の人たちより》だ。協力者や関係者からのテキストということで、スタッフ、乗船者たち、とも異なる距離感で綴られているようだ。パフォーマンス中の自らの役割、作家と共に時間を過ごしたこと、プロジェクトに付き添いながら深い思索におよんだ文面など。具体的なものからポエム調とこちらもかなり幅広く、もはや立場や距離感の違いはあまり感じられなくなった。

主体的に書きたいことを書いている。ともすると、一体感や協調性の欠如ともとれそうだが、それぞれに舞台が用意されており、プロジェクトという名の演劇を成功させようとする〈思い〉が手書きの温かみに表象されているような気がして、不思議なほっこり感に包まれる。はて、こうしてレビューを書いている筆者も、最も遠い関係者、プロジェクトという名の全体の一部なのか?

小部屋の《④流れのなかより》。約一年にわたるプロジェクトの記録がパネル、ビデオ、各種の資料で構成されている。改めて、パフォーマンスに至る道程に多くのプログラムが実施されたこと、名前は出ていないが様々なサポーターの存在に頭の下がる気持ちになった。写真付きのパネルには、蛇行する川のようなデザインで事の成り行きが示されていたが、ゆるやかな流れというよりは時に激流、時に渦のように巻き込む形で、物事が進行されたであろうことが想像された。巨大なクリアファイルには各ワークショップで参加者の創作した成果物がたんまりと蓄積されている。一体どれだけの交流が生起したであろう。

そろそろまとめに向かいたい。本展はアーカイブ展であったが、アートの文脈でいうアーカイブには作品そのものではなく資料やその他のものが扱われる。その意味では正しく作品以外の展示であった。だが堂々と示されたその他諸々は、その地位に甘んじる事なく、別の価値を呈していたように思える。作品では描ききれないメタな部分や、メイキングといった副次的なものにしか出せない味わいが確かにある。今風に言うとスピンオフ、水平展開の可能性。

そしてそのことを実感させる必要なしつらえとして、手紙をしたためるという素朴だが実直な身体性が効果を発揮していた。普段、文字を書くことをしなくなった我々に、カウンターの強度があるよう感じられた。

最初に整理したように、「雁の便り」プロジェクトによって結実した新作はまだ拝見していない。よって断定的な物言いはさけるべきだが、様々な個性の異なる〈お便り〉の集う本展こそが、創造的な出来事に深く関わること、それによりもたらされる豊かな心のさざめきを伝えるものではないだろうか。

「『プロジェクト』という言葉の都合の良さにもたれかかったり、疑問を持ちながら、誰かの手を借り、一緒につくったり考えたりする時間や場所をそのように呼んできました。やがてその体験が作品にも変化していくときたくさんの人が関わったこの時間は誰のものでしょうか?」(前田氏のテキストから一部抜粋、会場配布のハンドアウトより)

関わりの結果は一人ひとり揺動するものであって良い。作家もまた、プロジェクトの船頭を務めながら、手探りで舟を進めつづける。

(広島在住のアート愛好家・太田川蟹)

*写真は筆者撮影

前田耕平「雁の便り」プロジェクト アーカイブ展

会期:2025.11.10〜2025.11.20

会場:タメンタイギャラリー鶴見町ラボ

鑑賞日:2025.11.16

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