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【レビュー】菅亮平「Unknown People」

 

会場入口

年度内最後のレビュー。菅亮平「Unknown People」@広島市立大学芸術資料館である。本会場は市街地から近く、高速4号を使うと広島駅から20分足らずで到着する。芸術作品が今まさに生まれでんとする場所で、意欲作や実験作が見られるのは芸術系大学をもつ市民の役得。

さて展示について、今回筆者にとってはいささか異質な鑑賞であった。一つは本展の題材である広島平和記念資料館の被爆再現人形を幼少期に何度も見ていた経験があり、思い出としての懐かしさと、同時にその歴史的経緯からくる固有の扱いづらさが、ないまぜになりながら呼び覚まされたこと。もう一つは、数年前に大ケガをした経験がある種の痛みを伴いつつ思い起こされたこと、の二つが要因である。いずれも私的な記憶に触れるもので、個人的に強いインパクトを感じる展示であった。

なお本展は昨年、原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で開催された菅氏の個展を再編したものであり、作家による詳細なレポートや専門家による展評などすでに多くの読み解きがなされているので、より広範な意見はそちらを参照されたい。

最も広い空間には、被爆再現人形の大きな写真が展示されている。原寸大のスケールであるそうだが、ずいぶんと大きく感じられた。地べたではないし、人形を取り巻く白黒の空間も含めた平面作品であるからだろうか。空間の中心に立つと、3体の、正確には6体の人形がこちらに迫ってくるような感覚に襲われた。ぎょっとすると同時に、胸が苦しい。当時の再現、再現の複写、である写真にも関わらず、非常に圧迫感を感じる。ここでは、見る側と見られる側とが反転しており、人形から人間に無言の語りかけがなされているようだ。

作家とは同世代、昭和生まれで広島市育ち、公立の学校でのほほんと平和教育を受けてきた筆者の記憶では、小学校の遠足やら課外授業で資料館を訪問し、くだんの人形を見てきた。おぼろげな記憶だが、これらの人形は不意打ちのような形で現れたように思う。資料館の順路をたどっていると、死角の部分にくぼんだ真っ黒な空間があり、そこに瓦礫の町をさまよう人形たちが劇的に登場するのだ。再現度の高いジオラマ、照明効果、さらにうめき声も流されていたように思うが……定かではない。

平凡な小学生男子の反応としてはお化け屋敷のそれで、クラスの女子の中には泣いている生徒もいた。原爆による悲惨さという背景の理解より、刺激的な恐怖体験が全面的に勝る。その後、先生からたしなめられて再度神妙な面持ちに戻るわけだが、内心は非日常を味わったままだ。そして学校に戻り、平和は大切、戦争はダメ、と感想文に書くわけである。

そのような反応に種々の意見があるのは承知の上だが、ともかく数十年前の小さなトラウマ(少なくとも筆者には心傷と感じられる)がよみがえり、苦笑いしていいのやら、静粛に振る舞うべきなのか、大変複雑な心境であった。かように精神への働きかけを受けたという意味で、シンプルだが、まさに何者かが迫ってくるような巧妙な空間づくりである。

1時間をこえるドキュメンタリービデオでは、作家が様々な専門家とともに検証や解析などを行う様子が収められていた。造形物としての人形の科学分析をはじめ修復やアーカイブ制作など各種の調査・作業が行われ、スペシャリストたちの鮮やかな手さばき、専門的な会話、謎の解明も興味深い。映像は美麗で、構成も飽きさせず、字幕もある。ふと連想したのはNHKの壁画復元などの番組。それほどに高品質で、このビデオが本リサーチの主な成果であり、その他の展示物は一つ一つの過程における副産物のようにさえ感じられた。

なかでもX線撮影のフェーズはひときわ濃い鑑賞であった。〈人形〉の内部構造が明らかになり、仕組みや材質について専門家たちが意見を交わす。FRP、パテ、パーツなど、造形用語が飛び交う。焦げた服の表現は精緻だが、服をめくるとプラスチックが剥き出しの部分もある。見える箇所と見えない箇所のバランスが図られているのだ。

ほほうと関心しながら見ていると、この人形は〈人形〉ではなく〈人間〉、という思いが痛覚とともに突然去来した。X線写真にうつる体内の様子と、接続のために通された金属パーツは、見覚えのある絵面だったからである。筆者は以前、自転車から派手に転んで複雑骨折し、骨の固定に金属パーツを埋めこんだ。今でも取り付けたままだが、その時に見たX線写真と大差ないのだ。予想もしない形で、無為の〈人形〉に有為の〈人間〉を同一視することになった。

以降は全てが医療行為に見えて仕方ない。眼球の材質を調べる様は眼科検診、皮膚のやけどはまんま皮膚科、血と服の癒着の状況は筆者も事故当時にベッドで目の当たりにした。次のフェーズでは人形が木箱に収められる様子が収録されているが、丁重に梱包材をつける動きは包帯の動きであり、固定用の添木はギプスそのもの。〈人形〉が箱に収納された引きの絵は、ストレッチャーに乗せられた〈人間〉を上から俯瞰した絵だ。この辺りで、関節的な痛みの感受に耐えられずその場を離れてしまった。全ての視聴は叶わず。

さてビデオでは、X線撮影が終わりホワイトボードを前に考察を巡らせる作家から、「外科医」という言葉が発せられるシーンがあった。それは通常、〈人間〉に対して発せられる言葉であり〈人形〉を対象とするものではない。しかし、極めて精巧に作られ、使命を与えられた証人としての〈人形〉に対してはどうだろう。作家のこのつぶやきは本展を象徴する言葉に思え、そこから派生した問いは今なおどっしり残り続けている。

作家は歴史継承のメソッドを再考する中で、「ドキュメント」と「フィクション」の関係性に注目したようだ。人形という造形物が伝える、史実にもとづいた記録、想像力を喚起させる虚構、その重なりの領域に焦点を当てたといえるだろう。記憶の引き継ぎにはいつも風化への抵抗があり、記録と虚構は時に相補的に、時にアンビバレントに働かせる必要があるのだろう。こうした社会課題はどの国、どの地域にもあるに違いない。その中で菅氏の挑戦が、「ヒロシマ」に向けられたものであることを嬉しく思った。

被爆再現人形の3Dプリント

ああ、疲労感でいっぱいの鑑賞。よもや大過去の心的外傷と消えない現在の外傷、二つの痛みが共鳴するとは思いもしなかった。だが、大きな問いをもらった喜びが勝っている。自身もじっくり考えつつ、作家の次なる成果を楽しみにしたい。

(広島在住のアート愛好家・太田川蟹)

*写真は特記をのぞき筆者撮影

菅亮平「Unknown People」
会期:2025.3.20〜2025.3.27
会場:広島市立大学芸術資料館
鑑賞日:2025.3.21

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