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【レビュー】小林清乃「書かれる手、跳ねる魚が飛び去ったあとでさえもなお|Polyphony1945 – HIROSHIMA編 –」

会場風景

しばらくぶりのレビュー。今年は被爆80周年ということで市内でも多くのアートイベントが開催された。筆者の知る範囲になるが、本展はそのことを強く打ち出す、すなわち周年的な意図であることを文言としてはっきり打ち出すものではなかったが、展示内容としては、やはり現在のヒロシマに深く関わる表現であり、このタイミングで問いかける必然性を感じる、意義深いものであったように思う。

展示の全体を包括するプロジェクト「Polyphony 1945(ポリフォニー1945 )」については、作家のホームページでも詳細に紹介されているので、そちらを参照されたい。偶然性、私性、歴史性、実験性などがまるで一遍の文学のごとく進行し、一つの作品体として今もなおゆっくり成長し続けている様が伝わってくる。

スピーカーと正面から向き合う。おおよそ人体サイズ

さて、鑑賞である。地上のフロアには大きなひな壇とスピーカーが数台。この会場には何度も足を運んでいるが、ここまで大掛かりなのは珍しい。まるで舞台装置のようだ。ひな壇に座るとスピーカーがみなこちらを向いて、音を発している。複数の若い女性が手紙を読んでいる。透明感があり清廉な響きだが、どことなく怒りのような感情が奥底にあるような気がした。各機ごとにちがう音声なので、一貫性をもって内容を聞き取るのは困難だった。

キャプションに目を配る。発している言葉の内容については記載がない。代わりに見つけたのは「多声音楽、声のアーカイブ、音声的再編」などの言葉。そうか、意味を聞き取るのではなく音を聞く作品なのだとようやく気づく。そのつもりで音楽鑑賞すると、手紙に込められたであろう親愛、出来事を伝えられる喜び、抑えられた寂しさ、あるいはやりきれなさといった心象など、複雑な感情が呼び起こされた。視覚芸術に偏った筆者にとって、この音響芸術の体験はとても新鮮。

ひな壇の上にあるテキスト

ひな壇の最上段には縦書きのテキストがあった。少々高所は苦手なので、提供いただいた同じものを地に足をつけて読む。作家による本展のために書き下ろしたフィクションの手紙らしい。とはいえ、入念なリサーチと慎重に作り込まれた執筆環境を鑑みると、元の執筆者が続きを書いたといっても決して言い過ぎではない。あたかも元の執筆者が憑依したかのように自然な文体に感じられた。一方、反復の言葉が各所でリズミカルに多用されているのは、目で読むというよりやはり耳で聞くものなのだろうと思われた。実際、朗読されていたようだが、筆者は都合上聞くことが叶わず。

ここまでに感じたことは、私信という秘められた書き言葉を話し言葉、すなわち身体のメディア(感覚器)を変換するにはどのような方法が適切なのかということである。目ではなく耳で感受するためには、話したり、語ったりする必要がある。あるいは音響作品における〈うたう〉を引き合いに出しても、歌う、唄う、詠う、謳う、謡う、唱う、と微妙に異なるニュアンスがあるだろう。声にするとは、なんと奥深いことか。

2階へ。心地良さそうな木陰で何かを書いている作家の写真、そのあいだに二重写しになった手紙の作品。これは元の執筆者によって書かれた手紙を、トレーシングペーパー越しに写しとり、痕跡を辿ることで書き手の身体感覚をトレースしようというもの。しかも行為だけに留まらず、元の執筆者が見ていたであろう風景の中で、日時さえもなるべく近づけるなど、可能な限りにじり寄ろうとする行動が半端ではない。先のフィクションもこうした活動を踏まえたものであるならば、〈ありえたかもしれない〉未来が書かれているという創造的な誤解が生まれても、不思議ではない。なんだか次元が歪んできた。

さて肝心のHIROSHIMAについての、つまり内容面についてはほとんど述べることができなかった。もちろん筆者の偏向に寄るもので、声なきものに声を与える(そう、まさに声)創作は貴重である。

が、今回それ以上に惹きつけられたのは、「多声音楽、声のアーカイブ、音声的再編」という方法論の可能性である。なぜなら被爆当事者が高齢化し、語り部の継承と向き合うHIROSHIMAにとって、人の声とそのあり方は重要な問題であり、本展はそのことに密接に関係していると思われるからである。展示とは別に、広島市被爆体験伝承者の方とトークイベントを開催したことも、その点に重きを置いている証左といって良いだろう。他者の証言と、その証言自体の表現について、新たな視点をもたらすものではなかろうか。冒頭に述べた、今のヒロシマにおける意義はここにあると思う。

作者の活動は今後、NAGASAKI編、FUKUSHIMA編など各地の語り継ぐべき事象に至るのかもしれない。記述の代替ではなく、口述ならではの記憶の伝え方がある。そのことを知れた、学びの多い展示だった。

(広島在住のアート愛好家・太田川蟹)
*写真は筆者撮影

小林清乃「書かれる手、跳ねる魚が飛び去ったあとでさえもなお|Polyphony1945 – HIROSHIMA編 –」
会期:2025.10.9〜2025.10.19
会場:gallery G
鑑賞日:2025.10.11

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