【レビュー】入野忠芳「不確かな行方」
2024.10.14(月)
今回のレビューは入野忠芳「不確かな行方」。会場はアートギャラリーミヤウチ。歴史ある宮内街道を2号線より少し走ったところ、3階建てのビルが舞台である。車通りは平日の日中でも非常に多く、街道には大きなスーパーマーケットも立ち並び賑わいが感じられる。ビルは遠くからでも分かる「AGm」のロゴが特徴的で、どことなく歯磨き粉のパッケージみたいな形が印象的。また隣のピンク色の一軒家、その名も「スタジオピンクハウス」はアーティストの共同スタジオになっており、時々アートイベントを開催するなど決してアヤしい場所ではない。
さて展示について、〈ギャラリー〉といっても中身は美術館クラス。展示の規模感、作品の質と量、それら企画に携わる専任の学芸員やスタッフ、しかも本展はゲストキュレーターの監修あり、論考つきの冊子ありと、その充実っぷりはいわゆる〈ギャラリー〉の範ちゅうを越えた内容であった。広島市内から車で30分、費やす価値はあると思う。
そんなわけで、企画意図や作家の詳しい解説はすでにたくさん用意されており、ここは筆者の興味を特に惹いたことを書いてみる。二つある。
一つ目は、模写の再現度。展示を俯瞰した時の初めの印象は、「あれ、どこかで見たことがあるような気がする」であった。美術の教科書をめくっているような既視感。本展は作家の代表作に至る過程において、一本のわかりやすい道を辿るのではなく、実際には多くの分岐があったことを伝えるものであるから、その試行錯誤の結果が種々展示してあるのは意図的であろう。
もちろん正確には模写ではないが、様々なバリエーションある展示作品の一つ一つが、どこからかの借り物ではなく作家の手中にあるように感じられた。いや、借り物であるには違いないし、それを影響とかオマージュといった言い換えにすることもできるが、ともかく〈もの〉になっていると強く感じられた。つまり画力は言うに及ばず、表現スタイルの模写の精緻さ、さらにそれ以上の絵に向き合う誠実さ、表現力の強度……云々。真摯にキャンバスと向き合う姿が浮かぶようだった。
さて、不十分なのは承知で次へ。二つ目は同タイトルの作品たちとその変遷が面白かった。たとえば《待つ》と題された作品群。1967年の作品は通りを人が歩いている姿を横から捉えたような印象で、大きめの細胞分裂した形それぞれに線がギュッと詰まっている。ロール状のカラフルな紙の断面のように見えなくもない。ずっと眺めているとグニャグニャと蠢いているようにも見え、待っている時の焦らされ感を思い出した。
2年後の1969年作。長くややウェービーな髪型の人物が四名、否が応でも目に付く手前の人はぐいっとこちらに迫ってくるようで、あとの三名はすっと後ろへ行っているようだ。肖像の顔だけが別のものに置換されているのはシュルレアリスムの名画にもある。その顔には波紋が幾重にも重なり、ふつふつと大量になにかが沸いているように見える。筆者には重苦しい衣の描写と相まって、内面的な静かな怒りと感じられた。怖い。後ろの人たちはそんなヤバい空気を察して、そそくさととんずらしているに違いない。空も渦巻き始めている。
そして1年後の1970年作。あれ、だいぶ違う!シュルレアリスム的な手法は別のスタイルではあるものの健在に見える。人物は中央に横になった1名と、ローブを頭から被った細長い者たちが数名。画面のおよそ右半分はしかしながら石化しているようで、左半分も徐々に硬化していくのだろう。植物から鉱物へ変わっていく、途方もない時間が表現されているのではなかろうか。濃密に描かれた分厚い雲が落ちてきそうだ。ああ、待ちすぎたのだ。人の生で計れる時間はとうに越え、自然の悠久な時間へと待ちのスケールが変化した。
このように、《待つ》の作品群だけでも十分な見応えと、想像(妄想)を羽ばたかせるだけの完成度を味わうことができた。やはり見比べられるようにセレクトされているのだろう。他にも丁寧な色鉛筆による小作品が多数あり、終盤にはいくつもの試行が段々と収束していき代表作の《裂罅》に行き着くルートが出来上がっていて、腹落ちのゴールを切ることができた。
私見だが、美術館で見られるマスターピースは一点であることがほとんどで、そこに至る過程や背景が存分に語られることはそう多くない。一方個展、回顧展などの機会では余すところなく作家にフォーカスするので満足度はとても高いが、その機会自体は非常に限られており、また相応のステージにいる作り手でないとそもそも俎上にあがらないだろう。希少性や非日常だから良いとする向きもあるだろうから、致し方のないことではある。
その意味で、本展のような中規模かつ作家の画業におけるピークの周縁を丁寧に検証し、企画展示することは貴重な仕事に思える。今回は物故作家のこれまであまり見られなかった作品が見れて素直に嬉しかった。存命のミドルキャリアの作家について、同様のやり方で現在地までを振り返るものも期待したい。その場合は現在進行形になるわけで、それを契機に新たな展開を見せる作家もいるだろうし、アーティストを志す者や芸術関係者をも大いに刺激することになるはずだ。切望!
(広島在住のアート愛好家・太田川蟹)
入野忠芳「不確かな行方」
会期:2024.7.26~2024.9.23
会場:アートギャラリーミヤウチ
鑑賞日:2024.9.8