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【レビュー】中西紗和「反復説」

外観(筆者撮影)


2025年、あけましてだいぶ時間が経ちました。今年初のレビューは中西紗和の「反復説」。会場はもうすっかり馴染みのgallery G。安定のクオリティと足の運びやすさ、目の前には広島県立美術館と広島のアート好きにとって中心地のようなものでしょう。

さて、会場の外からはっきり見えるのは白いバスタブ。手前が池なのでちょっとしたリゾート感を一瞬よぎらせつつ、しかしながら真冬なので早々に中へ。


やはりバスタブであった。作家のコメントによると、「浴槽はパラフィンという蝋燭やクレヨンなどで使われる素材でワックス原型の素材としても使われます」とのこと。なるほど、表層に光沢のある部分や無光沢の部分、後ろに回ると光が透けて半透明性もあったり、バスタブの曲線も妙に艶かしい。パラフィンを溶かして流し込み、その作業を繰り返すことで生まれた地層のような表情も面白い。このバスタブで実際にお風呂に入れるのだろうか、ちょっとずつ変形するのだろうかと、普段考えもしない入浴体験を想像した。


浴槽の中には古めかしい金具や破片みたいなものが集まっている。作家が入浴時にワックスを手捻りで造形したものを原型とした、ブロンズの鋳造らしい。何の形だろう、一つ一つは定かではないが、デコボコしていたり錆びていたりするので、なんだか考古学の遺物のようである。

ふと目を挙げると、壁に水平線に沿ってこれまた小さな形が大量にくっついている。人体や動植物のようなものもあるが、その多くはアメーバや図形のようないわく言い難い形体をとっている。おそらく、《情緒の体操》と名付けられたこれら断片の中から、晴れて鋳造されたものが浴槽のブロンズたちではなかろうか。素材の不安定性と永続性、形体の保持と消失、作家の言葉に頻出する〈記憶〉というもののあり方が問われている。


なお《情緒の体操》は同じワックスでも蜜蝋が素材。ベージュからブラウンまで色彩豊かな変色が目を惹き、自然物が原料であるせいか親しみのわく風合いである。約半年に渡り、手元を見ずに指先の感覚だけで作られ続けたこれらの形。日々の〈記憶〉を立体物によって表すとは、実に彫刻家らしい作品である。

二階に行こうとすると、ここにも小さな形が同じく水平線状に並んでいる。ギャラリーの空間を隔てなく設置されているようだ。「トイレにもありますよ」とスタッフの方に案内された際には笑ってしまった。

その一方で、別の解釈も想起された。その様はまるで家屋が浸水した後、泥が残存した時のようであり、すなわち到達点を境に段々と下に向かって泥が薄く、壁にへばりついているような状況である。今日の自然災害の報道で、目にした人も多いだろう。ここ広島でも近年、水害による被災が毎年のように発生している。階段で立ち尽くしていると「雁木みたいですね」とスタッフの方。ふむふむ。

作家の表現の射程はどこまで意図されているのか不明だが、ある見方をすると、広島という場所性を大変に考慮した展示であると、考えさせられた。


二階には記録映像やワークショップの道具などが並ぶ。映像には鋳造のための炉やパラフィンの浴槽を手際よく制作する作家の姿が収められ、ずっと見てしまう。また作家は「砂を使った鋳造体験」などワークショップも行うようで、卓上の関連グッズにも興味を引かれた。これはさぞ楽しいに違いない。

最後にタイトルの「反復説」。結局謎のままであったが、そうゆう学説があるとスタッフの方に助言いただき、グーグルに問い合わせると「生物の個体発生は系統発生の短縮された繰り返しであるという説」との素早い回答。詳細は手に余るが、生物の成長プロセスは、その生物の進化プロセスを凝縮し繰り返しているというものらしい。

作家の制作プロセスに当てはめると、その手の中で成長と短縮された進化が何度も反復されているということになる。この場合、ワックスが胚であり、掌が胎内である。そうして生まれ出た形は、いかなる形体であれ〈喪失〉と〈生成〉を問うに足る存在になりえるのだろう。なんとも深遠なる展示であった。

これも見ずして作ったものか?《情緒の体操》(筆者撮影)

(広島在住のアート愛好家・太田川蟹)

中西紗和「反復説」
会期:2025.2.5〜2025.2.16
会場:gallery G
鑑賞日:2025.2.15

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