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シリーズ「日常の淵でレンズを覗く」vol.1 (桺谷悠花)

広島のアートシーンの「生」の様子を垣間見る連載企画。
vol.1は広島市立大学に通う桺谷悠花さんによる、
芸術学部とコロナ禍についての寄稿をお届けします。

 

横川駅から武田山へ向かうバスに乗って15分、西風トンネルを抜けた先の、すぐ右手に見える建物が広島市立大学だ。

芝生で覆われた中庭を中心に情報、国際、芸術棟が扇状に位置している。どの校舎も赤土色のレンガと打ちっぱなしコンクリートで構成されたシンメトリーなデザインが特徴的だ。それぞれの棟をつなぐ渡り廊下には連続したピロティが修道院のように並び、秋になれば紅葉したイチョウが一面に広がる。

ここからの景色が好きだ。思えば、この大学へ進むきっかけも単なる景観の良さにあった気がする。最近はここへ来る機会も減ってしまった。すこしのあいだ人の手が入らなかっただけでも敷石の隙間からは雑草が伸び、蜘蛛に巣喰われたベンチが所在なさげに立っている。なんだか廃墟のような佇まいで、少し寂しい。

蝙蝠のからだから新種のウィルスが発見されて以来、あらゆるものが変化した。毎日のニュースにはCOVID-19の文字と感染者の数字が並ぶようになった。社会のルーティンは乱れ、私たちの生活は強制的にデジタルに繋げられた。コミュニティの場は本格的にヴァーチャルへと移り、大学の授業もほとんどがリモートになっている。

私が所属する芸術学部にとっては深刻な問題だ。道具がそろった工房でなければ作業できない学生もいるが、感染状況によっては自宅をアトリエ代わりにしなければいけない場合もある。生活環境も制作も今まで通りにはいかない、模索の毎日だ。

ひとりの時間が増えた。

マスクも消毒液もいらない2年前の生活では忘れかけていた、孤独と向き合う時間。

もちろんインターネットがある以上、外界からまったく切り離されるということはない。会う、話すといった行為は、通信をつなぐことで代替できる。しかし画面と画面のあいだには、デジタルには通せない感情が無数に挟まっている。目線の先や指先の動きなど、言葉以外のツールがいかにコミュニケーションに必要かということが、今になってやっとわかった。通話を終えて回線を切ったあとは、なんだか寄る辺ない気持ちでいっぱいになる。

生活が変わると、それに伴って人々の関心や意識も変化する。書店のラインナップを見ると分かりやすい。感染爆発と社会秩序、ウィルスの正体、家での過ごし方など、感染にまつわる新書や名作小説が店前に並ぶようになった。「コレラ時代の愛」やジョゼ・サラマーゴの「白の闇」が平積みされているのを見ると、人類とウィルスの関係はいまに始まった問題ではないとわかる。

古典的名作であるカミュの「ペスト」が異例の売り上げを記録したことも話題になった。2020年の2月以降から15万部の増刷が行われ、累計発行部数は104万部にのぼるという。

黒死病。14~15世紀にかけて爆発的に広がった死の恐怖。

今の社会状況はしばしばこのパンデミックに重ねられる。当時のアートシーンといえば厳格なゴシックがちょうど過ぎ去ろうとしている、ルネサンスの黎明期だ。教義が常識であり、信心深いことがなによりの美徳とされた時代に、ペストはどういう影響を与えただろうか。

およそ5000万人が病死したといわれているが、これは世界人口の4分の1にあたる。ヨーロッパの街は積み上げられた死体でいっぱいだっただろう。きっと教会の前も。聖職者であろうと平等に訪れる〈ペスト/死〉を目の当たりにして、人々が思うことといえば、神への疑心だったに違いない。民衆のなかで育った疑心は、主義思想をも変容させた。

15世紀初頭に絵画や音楽のモチーフとして扱われた「死の舞踏」は、ペストによって生まれたイデオロギーそのものだ。手を取り合って踊る骸骨。彼らに導かれるようにして、死者が列を成している。

彼らの向かう先は墓場だ。墓場に階級はない。貴族であろうと聖職者であろうと、死は平等に訪れる。そのことをゆめゆめ忘れるな───メメント・モリ(memento mori)の哲学は、ペストに苦しむ民衆の心に響き渡った。

生はある一点に始まり、ある一点で終わる。今日生きていた隣人も明日には死んでいるかもしれない。その無常さ。「死の舞踏」には、そういった死生観がテーマとして表現されているのである。

そんなペスト時代がいま注目されているのも、800年前の風景が、今日とそう変わらないからだろう。歴史は繰り返す、という古代ギリシャの貴族が残した言葉を思い出す。

ノトケが描く色鮮やかな死者の行進は、この現世と地続きになっているのだろうか。

部屋でひとり過ごしていると、そんなことばかりを考えてしまう。

バーント・ノトケ《死の舞踏》

バーント・ノトケ《死の舞踏》 聖ニコラス教会(エストニア・タリン)

 

月のほとんどを家で過ごす、そんな生活が日常になっている。感染状況が落ち着いたと思いきや緊急事態宣言の知らせが入るという、出鼻をくじかれるようなリズムにも慣れてきた。

いろいろ不確定なこの時期では、展示や留学といった試みも直前になって白紙になることも多い。学外の鑑賞者を招いて開催していた展示会も、今は学内限定のクローズドでひっそりと行われる。何をするにも「コロナさえなければ」という後悔がつきまとい、制作へのモチベーションも下がる一方だ。

そういう日々の迷いや悩みは、ひとりの時間の中で発酵する。哲学する。ペスト時代がそうであったように。コロナの不条理に対する不満も、突き詰めて考えると「ではいま、自分にはなにができるのか?」というひとつの問いに行き当たる。そしてその問いに向き合うことができるのが、芸術である。

これからこの場を借りて私が紹介したいのは、広島市立大学生がつくるアートについてだ。

いまを見つめる学生たちの自己表現は、密閉されたこの社会を突き破る投石になりうる。世界的な過渡期にありながら、それでもなお新しいもの生み出そうとする姿勢はアーティストとしての抵抗でもあるし、現代を生きる若者のサヴァイヴでもある。

彼らの表現方法は映像、彫刻、金属工芸、染色と様々だ。それぞれの分野によって、伝えたいことへのアプローチも異なるだろう。

私は彼らの批評をするのではなく、展示や制作現場を訪ねてリポートしたい。この記事が読者と広島市立大学の架け橋になれたら幸いだと思っている。

パンデミックにどういうかたちで終止符が打たれるかはわからないが、いつかは「あの時は大変だったね」と懐かしまれるようになるのだろう。きっと遠い日の話ではない。その時が来たら、ぜひ本学にも足を運んでほしい。

 

文:桺谷悠花(やなぎたに・ゆか)
広島市立大学芸術学部在学中。1999年奈良県生まれ。

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