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ケーブルを通じて─In the Flow (ひろしまアニメーションシーズン関連展示)によせて

この夏開催されたひろしまアニメーションシーズン2022の関連イベントとしてgallery Gを会場に開催された”In the Flow”展について、山本功が執筆しました。

慌ただしくも過ぎ去ったひろしまアニメーションシーズン2022の映画祭が終わった8月下旬、祭りのあとの雰囲気も漂うgallery Gを訪れ”In the Flow”展を鑑賞した。

ひろしまアニメーションシーズンの関連展示として開催されたこの展示は、「生存の条件としての水を切り口に、現代美術とアニメーションの間を流れるイメージの風景を想像する展覧会」だという。タイトルの “In the flow”は批評家ボリス・グロイスの同名書(邦訳:『流れの中で』)から借りたものらしい。

キュレーターを務めた馬定延(ま・じょんよん)が本展のために寄せたテキストは展覧会のウェブサイトにも掲載されているので、あわせてご覧いただきたい。

In the Flow (ひろしまアニメーションシーズン関連展示)

会場には4名の作品が並ぶ。展示されるのは、カール・シムズ、南隆雄、ヨム・ジヘの映像作品と、ホー・ツーニェンによる「風景画」 である。

「ぜひ行った方がいい」という知人の前評判があったので、期待を胸に会場へと足を踏み入れたのだが、一抹の戸惑いがあった。というのも、機材の主張が強いのだ。アニメーションイベントの関連企画ということで、物語性のあるものを勝手に想像していた節もあったのだが、待ち構えていたのは無骨で無機質な印象の強い展示空間と、取っ掛かりが掴みづらそうな作品たちだった。

最初に見たカール・シムズ《進化した仮想生命体(Evolved Virtual Creatures)》は1994年に制作された映像だ。それを映し出すのはかなりの年代物のモニターで、傍らに映像半開きのラップトップが接続されている。

カール・シムズ《進化した仮想生命体(Evolved Virtual Creatures)》

近年日本国内でも大規模な展示企画が話題となっているホー・・ツーニェンの《H for Humidity》(2022)は、本来はVR装置を使用した体験型の作品だ。しかし、会場に展示されているのはそのなかの一部のシーンを切り取りマウントされた4枚のフレームと、この作品が位置づけられる《東南アジアの批評辞典(The Critical Dictionary of Southeast Asia)》(2017〜)プロジェクトにおける《H for Humidity》の項目のパネル2枚である。

ホー・・ツーニェンの《H for Humidity》

南隆雄《Difference Between》(2014)は、マレイ半島で収集したというイメージとサウンドを素材とした白と青を主色とした映像が2枚のディスプレイに放映される作品だが、モニターとコンピューター、そしてスピーカーと電源を接続する黒く太いケーブルは剥き出しのままだ。

南隆雄《Difference Between》

処女がアマゾン川を泳ぐと男性に変身したピンクイルカの子供を受胎するというアマゾンの原住民に伝わる民間伝承を扱ったヨム・ジヘ《ピンクイルカとの一晩(A Night with a Pink Dolphin)》(2015)は、プロジェクターと電源を接続するケーブルを覆っていたのは、木目の床と同系色ではない黒いテープだった。

ヨム・ジヘ《ピンクイルカとの一晩(A Night with a Pink Dolphin)》

明らかに意図を感じるインストールについて、念のため在廊していたスタッフに尋ねてみると、やはりこれは指示のもとらしい。万が一にも設営が雑なだけでなくてよかったと胸をなでおろす。しかし、通常は配線や機材はできるだけ目立たないように設置することがほとんどなのに、どうしたものかと、察しの悪い筆者は引っ掛かりを覚えたままその日は会場をあとにした。

その後、この展示のことをぼんやりと思い返していると、ふとケーブルで接続されていることと、In the flowというタイトルが繋がりはっとした。太古の昔や異国の地を扱ったそれぞれの作品は、2022年の広島と地続きなのだ。そう、ケーブルを通じて──。

映像やVRなどのデジタルメディアを用いる作品は、無形のデータが本体だ。作品を映し出すためには、再生と投影のための各種ハードウェアが必要となる。ボリス・グロイスは、こうしたメディアの物質的、物理的な側面は、「デジタルの領域ではあらゆる重要なことはスクリーン上でのみ生じるという幻想を破壊」し、作品が展示される空間における鑑賞行為は「もはやひとつのスクリーンに集中するのではなく、あるスクリーンから次のスクリーンへと、あるコンピューターのインスタレーションから別のものへとさまよう」状態であり、このとき「他の訪問者が鑑賞者の視野に迷い込むこと」が重要なのだと指摘している*。

たしかに、出展作品のうち3つの映像作品はウェブ上に一部ないしは全部のデータを見ることができるし(本記事中の作品名にはYoutubeやVimeoへのハイパーリンクをつけている)、ホー・ツーニェンの作品はVRを体験することこそできないが、そもそもキャプションには「東南アジアの批評辞典(The Critical Dictionary of Southeast Asia)」へのQRコードが印刷されており、鑑賞者自身のスマートフォンで鑑賞空間にない動画を再生することが想定されている。会場に掲出されるキュレーターによるテキストも、前述のウェブ上にアップされているものと同じだ。そんななかでわざわざ会場に足を運んで見るべきものは、メディアが再生されるハードウェアと、インストールという名のキュレーションされたインスタレーションにほかならない。

展示空間に足を運び、作品を見て回り、踵を返す一連の鑑賞体験を振り返ってみると、さまざまな「流れ」が接続されて見えてくる。

ひろしまアニメーションシーズン2022の映画祭期間中は、プログラムとにらめっこしながら会場となったJMSアステールプラザ横川シネマなどの「スクリーン」間を慌ただしく移動したものだが、横目に見る広島の街はそんなことを知ってから知らずか、また別の慌ただしさのなかで人々が移動する。映画祭期間中、閉廊後の時間にはこの会場となったgallery Gの屋外に向けて映画祭のグリーティングムービーが投影されていたが、行き交う人々はそこになにを見たのだろうか。

gallery G グリーティングムービー

私たちは、あらゆるものが接続され、「流れ」ている世界のただなかにいる。しかしその全体像を見渡すことはできないから、断片を切り取って、また「流す」ようなことをしている。「インターネットはデータの流れの場ではなく、データの流れを止め、遡る機会である」とボリス・グロイスは言う**。VRのシーンを「風景画」として展示し、QRコードで映像へと案内するホー・ツーニェンの作品はその象徴的な見せ方だ。

広島では日々たくさんのアーティストが展示発表を行っている。ひろしまアートシーンに掲載される展示情報の充実ぶりは他都市に引けを取らないはずだ。しかし、キュレーションされた企画は必ずしも多くない。そんななかで、こうした射程の広い展示を目にすることができたことを嬉しく思う。


* ボリス・グロイス『流れの中で』河村彩訳, 人文書院, 2021, p.166.
** 前掲書 p.218.
会場写真1-4: Photo: Ichiro Mishima 撮影:三嶋一路 5:撮影:山本功


 

山本功(やまもと いさお)

タメンタイ合同会社代表社員、アートマネージャー。
1992 年広島市生まれ。京都大学文学部卒業。専攻は人文地理学。
ベネッセアートサイト直島を運営する公益財団法人福武財団にて直島コメづくりプロジェクトを担当後、地元広島に拠点を移し、瀬戸内地域で活動する若手アーティストの活動を紹介する活動を2018 年より始動し、アートマネジメント、調査事業等を手掛けている。2021 年12 月より自社施設「タメンタイギャラリー鶴見町ラボ」を運営。

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