ねみの日記#05
2023.5.9(火)
久保田音美(広島市立大学国際学部4年)が
広島でアーティストやギャラリーの人々に
出会っていく体験日記
この日は母と千田町にある、THE POOLに向かった。
母とギャラリーに行くのは初めてだ。なんとなく気恥ずかしく、誘っていなかった。だけど、THE POOLは車で行く方が楽だという理由で誘うことにした。車の中で現代表現に疎いと言っていた母は、楽しめる展示だろうかと心配していた。わたしは、別にあまり考えずにぼーっとかたちや色を見てもいいし、解説を読んでコンセプトを理解しようとしてもいいし、コンセプトのアイディアから解釈が異なってもいいし、どんな風に見てもいいんだよと言いながら車に乗っていた。
『FLAT CITY 2022』(2022年7月19日-7月23日)は広島市立大学現代表現領域の地域展開型芸術プロジェクトの一環として開催された。プロジェクト名の通り、地域(中区千田町)についてリサーチし、作品を制作するというもので市立大学の現代表現領域に在籍する9名の学生が展示を行っていた。
会場に到着すると、THE POOLの香村ひとみさんが出迎えてくれた。わたしはひとりで見て回っていたが、香村さんは入口の方にいる母に解説をはじめてくれた。母は香村さんに「どうやって作品を鑑賞したらいいのか?」と質問していた。香村さんは「自分で作品を楽しんでから、作者の解説を読んでみたらどうか」とアドバイスしてくれた。「自分の考えや見方を持ち、その上で解説を読むと作品を通じて作者と会話をしているみたいだ」と母は言っていた。作品を見て思ったことを香村さんに話し、それを受けた香村さんが作品の解説をする。そうすると「なるほどねー!」と納得したり、驚いたりしながらギャラリーを楽しんでいた。
わたしは作品を見ながら、うきうきしていた。現代表現は面白くて好きだ。
現代表現は言葉を超えた表現や体験を通じて(言葉を使うこともあるが)いろいろな気持ちや問題提起をしてくれる。現代表現に触れずに生きているだけでは出来ない体験だと思う。
篠藤碧空さんはホワイトキューブを赤紫色に塗り替え、三邨美紗さんは展示空間に角材を使い、「凸」を生じさせていた。ミニマルだけど視覚/身体的なギャップ・違和感にコンセプトを乗せて、目と脳みそのダブルで楽しめる表現だと思った。ステートメントによると、篠藤さんの作品はホワイトキューブだったTHE POOLの空間を赤紫色(マックスバリュ風の色)に塗り替えたものらしい。千田町の歴史(戦前の工場地区・学生街だった歴史、被爆体験、その後再び学生街として栄えるなど)を覆う均質的な都市開発と町の関係を、元々長屋だったTHE POOLの空間がホワイトキューブになり「均質化」されたことを重ね、目に見えるかたちにしている。三邨さんは千田町にある大きなタワーマンション「Hitoto 広島 The Tower」の存在を念頭に、展示空間にタワーマンションを思わせる凸を生じさせることで、鑑賞者にどんな気持ちになるか問いかけている。篠藤さんと三邨さんの作品は、現代における都市の変化を肌で感じられるレベルに落とし込んで表現していて、違和感をすっと実感できるものだった。
山下栞さんは原爆ドームを中心にした半径2.3kmの同心円状を、THE POOLを起点にひたすら歩くという映像作品だった(映像は6時間もある)。映像はずっと彼女の目線で進み、時間の重みだったり、身体的に感じる距離だったり、歩くたびに浮かんでは消える考えごとだったり、色んなイメージや暗喩が想起された。私の中では、被爆後千田町周辺で被爆者の姿をカメラに収めた中国新聞の記者がいたことを思い出し、彼が被爆後の千田町を歩いているようなイメージと山下さんの映像が重なっていった。
ひとつひとつ感想を書いていくと長くなるので割愛するが、どれも再開発が進んでいく千田町への問題提起をしていたり、今まで自分が作ってきていた作品と組み合わせたりと、同じテーマでこれだけ違う表現の仕方があるんだとおもしろかった。
母とわたし、それぞれ鑑賞して刺激を受けてギャラリーを出た。帰り道にマックスバリュ(赤紫色)の看板を探したり、突如現れる巨大なタワーを見つけて、こうやって開発と画一化が進んでいるんだなと話したり。行きと帰りでふたりとも明らかに街を見る目線が変わっていた。誰かと作品を鑑賞するおもしろさをあらためて感じながら母と千田町を散歩した。恥ずかしかったけど、誘ってよかった。